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親友が乳がんになった…自分に出来ることは?無力さに何度も涙したことを振り返る

どうも*あかりんご(@akari_presents)です。

今回は【親友が乳がんになったら?】という話。
私の実体験でもあります。

病気に向き合うことは本人しかできないですし
辛さや気持ちは、本人にしかわかりません。

それでも周りにいる人は
わからないながらも色々と考え、悩み、一緒に背負ったりするもので…。

ご家族と同列とはとても言えませんが
近しい友人も、一緒に悩み乗り越えていくことだと思っています。

私は一友人という立場で
病と向き合う彼女の側にいましたが

その中でやはり後悔することもありました。

「もっとこうしていれば

これは、言い出したらキリがないと思いますが、どうしても失ってから
振り返って初めて気付くものもあるのです。

そんな後悔や葛藤を書き綴ってみようと思います。

こんな方におすすめ

  • 大切な人が病気と闘っている
  • 大切な人の支えになる方法を探している
  • 自分の無力さを感じる

そんな人に向けて書きます。

親友からの一本の電話

ある日の午後
仕事の休憩中だった私の元に親友からの電話が…

2人でWILLCOM(なつかしい)持って毎日のように電話する仲だったものの

なんか様子が違う???

「ねぇ、今病院。乳がんだったんだけど」

といきなり言われました。

えっ!?!?

(かなりフリーズ)

突然すぎてリアリティがまるでなかった…

人は当たり前の毎日がずっと続くと、無意識のうちで思っているものだから。

乳がんの発見に至るまで

親友はシャワー中、身体を洗いながら
シコリを見つけたらしい。

そしてすぐに病院に行き、乳がんと発覚。
初期の発見でした。

その時は親友も私も
「初期だから大丈夫だろう」

そう思っていました。

彼女も笑って話してたな〜…
(心配かけまいと無理していたのだと思いますが)

そこから長い治療が始まるとも

ましてや天国に旅立ってしまうとも

夢にも思っていなかった…。

転移と進行が早い…!?

初期で見つかったとはいえ
若さゆえ(23歳)!?
進行が早く、手術後も転移を繰り返し
治療の日々が続きました。

※病状や進行具合は個人差がありますし、一個人の見解では言えません。

ここからは
友人としてどう向き合っていったか
を書いていきます。

全ての決断は本人。見守ることしかできない

当たり前のことかもしれませんが、全ての決断は本人がすること…。

というのも、世の中にはあらゆる情報があって、中には病院で得られないものもある。

本人やご家族も、最善を尽くしたいと色々調べると思います。

それに、癌ということがわかっただけで
周りの人はいろんな情報を伝えるでしょう。

「この食べ物が良いらしいよ!」
「これはやめた方が良いよ!」

など…

治療を受ける本人は、そんな膨大な情報の中から良いと思ったものをチョイスして、試していくのです。

私も親友に良さそうな情報はシェアしていました。

でも結局、自分は医者でもないし
情報の信憑性を確かめてもいない…。

確かめようもなかった。

だからこそ、間違っても情報を押し付けたり
、親友の決断を止めることもしちゃいけないんです。

けれど、なかなか良くならない状態を見ていて

何をすれば良くなるのか!?そこがわからず、もどかしかった。

見守ることしかできない無力さ。

お医者さんですら、無力さを感じることがあるらしいので

周りにいる人たちは、尚更そう思うことでしょう…。

親友の葛藤・苦悩を見ても何もできないもどかしさ

「見守ることしかできない」と同じかもしれませんが…

とにかく何もできない自分に
もどかしさを感じていましたね。

ただ、親友は毎日のように
身体の様子や治療のこと、その他たわいもない話まで
私にしてくれていました。

強がりな彼女は、「心配や同情をされたくない」と言っており
病気のことはほとんど人に言わずに過ごしていたみたい。

そんな中、私は何でも話せる存在になれたのかな?

「少しでも何か力になれていたのかな」と思えました。

それが唯一の救いかもしれない。

何かを「してあげよう」なんて、おこがましいのかもしれない

もちろん、家族や友人…大切な人が病気になったら「何かしてあげたい」と思うのが普通だろう。

でも、実はそれは非常におこがましく
自己満の考えなのかな?とも考えたことがあって…。

実際、私の親友も

一番嬉しくて一番辛いのは
人の優しさだ 

と言っていました。

心配かけてしまう
気を遣わせてしまう

そんな自分が情けなくて、不本意で…

その気持ちはよくわかります。

だからこそ、そんな親友の気持ちを汲み取りたかったし
彼女が望むようにしてきた(つもり)

「普通にしていて欲しい」が彼女の望みだった

◆病人扱いされたくない
◆過度に気を使わないで欲しい
◆心配かけてごめんね

など…

そんな親友の想いを聞いていたので
私がしていたことは

今まで通りに接すること

親友が弱音を吐かない限り、「大丈夫?」と聞かない。

過剰に心配しない。

何事もなかったかのように、今まで通りに接した。

逆にそれくらいしか出来なかった。

治療や辛い現実に向き合わなければならない時以外は、何事もなかった昔のままで過ごしたいよね。

何もないことが有り難い。
元気で生きていられることが有り難い。
有り難い=「そうあることは実は難しい」だから尊い。

親友はそのことを教えてくれました。

親友に対する私の後悔「結婚式を挙げてあげればよかった」

実は親友が乳がんと宣告されたのは、結婚してすぐ…新婚ほやほやの時期。

「ウエディングドレス着たい」としょっちゅう言っていました。

でもお金もかかるし、自分たちではとてもじゃないけど出来ないな…と。

その時浮かんだのは【余命1ヶ月の花嫁

でも、すぐにその考えを打ち消しました。

なぜなら
親友は死なない!結婚式は元気になってから挙げたら良い!と思いたかったから。

ただ、その後
病状があまり思わしくない親友の姿を見て
何度も「結婚式を企画してあげよう」と思ったんです。

実際、親友の病気のことを知っている同級生と話し合ったこともありました。

しかし

結局、結婚式の話は親友にしないまま終わってしまいましたが…。

正直葛藤の嵐でした。

元気になることを目標に治療に専念している親友に
「結婚式しよう!」と言うタイミング…。

まるで「一生できないからやっておこう」と言ってるみたいじゃない?と思ってしまい、行動できなかった。

一生できないからやっておこう
なんて、私が勝手に思ってるだけかもしれない。

もしかしたら親友は
喜んだかもしれない。

今となってはもう聞けないし、確かめようがないけれど。

後悔ってやっぱり「たられば」そして「かもしれない」

全て仮定になるから
結局答えなんて出ないんだよね。

だから後悔は引きずったりもする…。

親友に対する私の後悔「もっと旅行に行けばよかった」

親友としょっちゅう話していたことは
「○○に旅行行きたいね」
「元気になったら行こう」

この繰り返しだった。

その時は、元気になったら行けると思っていたから後回しだったんだよな…。

行けばよかった。

「やりたいね!」と言っていたことを、1つずつ
確実に実行していればよかった。

今となっては心からの後悔。

だって…一生叶わないなんて夢にも思っていなかったんです。

でもそれは言い訳かな…

それにこれは、健康な私たちにだって言えること。

人生は、いつ何が起こるかわかりませんから。

詩「最後だとわかっていたなら」

やっぱりこの詩がピッタリかな。
(この詩は10歳の息子を亡くした母が書いた詩です。)

「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック
訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
引用:サンクチュアリ出版公式サイト

未来は「わからない」からこそ迷い、時には後悔する

最後だとわかっていたなら」…
もしわかっていたら、こんなことはしない。
もしわかっていたら、絶対こうしていたのに。



だから選択と行動は難しいんですよね。
未来は誰も「わからない」から…。

私が親友に対して抱いた後悔だって

もしも最後だとわかっていたなら
絶対行動したし、そしたら後悔しなかった。


そして、ふと考えた。

そうやって人生最期の日に後悔することって、いくつあるのかな?と…。

だって、未来はわからないと言っても
いつか死ぬことは確実にわかっていること
なんだから…。

でもね、わかっていても
後回しにしてしまうものなんですよ…
色んな理由をつけてね。

親友の死をきっかけに変えたこと

親友の死をきっかけに

大切な人との時間を後回しにするほど、他に大切なことってあるのかな?と考えるように。

そして冷静になり

その時夢中で頑張っていたネットワークビジネスを辞めた。
すっぱり辞めた!

続けてきたプライド「今更辞めれない」と、後に引けない状況。

それでもスパっと辞めたのは
親友の死から学んだこと、受けたショックが大きすぎたからだと思います。

(※ネットワークビジネスのせいで後悔したわけではないが、この件は別記事に書きます)

迷ったら「最後だとわかっていたなら」を思い出し、基準にしよう!

人生の中で
選択を迫られ、迷うことってたくさんありますよね。

もちろん色んな状況があるので
全部を叶えることは相当難しいと思う。

けど

「最後だとわかっていたなら」の詩を思い出し、その上で選択することをおすすめしたい*

後悔しない選択を。

極論かもしれないけれど

「明日死ぬとしたら、今日これを選択する?」

と自分に問いかける。

そんな毎日の繰り返しが
少しでも後悔を減らすことに繋がるかなと思っています。

まとめ「人は無力なのか?」

病気と闘う親友を前に「自分は何もできない」

そんな無力さを感じていました。

泣きたいのは親友の方だろうに……親友に隠れて涙することも…。

後悔もしました。

でも、親友にとって私はどんな存在だったのかな?

と振り返った時に

親友が死ぬその日まで

「また遊ぼうね!」と、2人して未来に向けた話しかしてこなかったことを思い出した。

ああ、自分にとって親友は
親友にとっての自分は

この先の未来も一緒に歩み、楽しんでいきたかった存在なんだな*と気付きました。

それで十分じゃない。

たしかに一個人として見たら無力かもしれないけれど
相手にとって大切な存在である自分が

【側にいたら・寄り添っていたら】

それだけで心が救われるんじゃないかな。

私が逆の立場だったらそう思うかなっ。

大切なことは

◆相手が求めることに応えようとすること
(自分のできる範囲で)
◆相手が喜ぶことを考える
◆ただ側にいる
◆存在に感謝する
◆一緒に過ごせる時間を大切にする

シンプルなことなんです。

そして
実はそれは

病気とか特別なことがなくても
同じことが言えるんですよね。

大切な人との時間、自分の人生
どちらも限りがあるものです。

その時間をどう使うか
考えながら生きていきたいですね*

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どうも。
歩く太陽
あかりんごです。

30代。
もの書き/いいものプレゼンター
料理人の旦那と二人暮らし。
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