どうも*あかりんご(@akari_presents)です!
突然ですが
【死】は誰にでも平等に訪れるもの。
ただその時期はバラバラで読めないもの。
そんな【死】に対して
「若くして亡くなるのはかわいそう」
とか
「不平等だ」という声もある…
たしかにそうだとも思います。
だけどその「かわいそうだ」という考えは
長く生きること(80歳とか)が前提
の考えなのではないでしょうか?
その反面
「人生は長さだけが全てではない」 という意見もあります。
しかし頭ではわかっていても
実際に子供や近しい人を亡くした人は
そんな風に割り切れませんよね。
ちなみに私は19歳と26歳でそれぞれ死別を経験しました。
「もし生きていたら…」
「同じように歳を重ねていたら…」と
今でもたま〜に考えますが
生きている私たちと比べることではないな。
ということに、ふと気づいたのです。
それに亡くなった人に対して
【亡くなる=時が止まる▶︎生きてる人と比べて置いてきぼり】
そんな風に感じる人もいるかもしれません…
ですが
亡くなった人の人生は完結しています。
なのでその先のことを想像し、生きてる私たちと比較して悲観することはないんだ。
ということに気付きました。
今回はそのことについて、身近な人を亡くしたあなたにお伝えしたいのです。
一発で飛べる目次
【もしも】の概念はキリがない
![](https://akari-presents.com/wp-content/uploads/2019/12/suitcase-1412996_1920.jpg)
もしもとは
「もしも◯◯だったら…」という仮定の願望を指します。
ただ、亡くなった人に関わる「もしも」は
悲しいけれど【実現しない】夢物語になってしまう…。
頭では分かっていても、ついつい浮かぶ「もしも」
◆もしもあの時止めていれば死ななかったのでは?
◆もしももっと早く気付いていたら助かったのでは?
など、考え出すと本当にキリがないんですよね…。
キリがないから考えない方がいいのか?
そうはいっても【考える・考えない】はコントロールできないことだと思います。
でもコツがあって…
亡くなった人のことを考えて悲しい気持ちになった時は、その後すぐ
生きていた時のことを思い出して締めくくりましょう。
そうしたら少しは救われる気がします。
◆叶わないことを考えて悲しくなる
◆止まった時間を哀れむ
そのように考える時間は
時間の経過と共に少しずつ減らしていきたいですね。
亡き人の思い出話をするならば「あの人だったらきっとこうするよね」と、生前の明るい話で締めくくりたいものです。
若くして亡くなるのは不幸せなことなのか?
![](https://akari-presents.com/wp-content/uploads/2019/12/ascension-1568162_1920.jpg)
若くして亡くなることは不幸なのか?
いいえ。決して不幸ではありません。
なぜなら・・・その人は自身の今世の役割を終えたのだから。
人は誰もが役目を担ってこの世に生まれてくる。
若くして亡くなる人は、その人なりの使命を終えたということなのです。
そんなこと言ったって、周りからすると悲しくて悔しくて…
やりきれませんよね。
だけど亡くなった本人は
無事に使命を果たした達成感や、喜びを感じているかもしれません。
(あくまで想像になりますが)
だから私たちが勝手に「不幸だ」なんて決めつける必要はないのです。
どんなに近しい人が亡くなって辛くても、周りの人の人生は続くもの
近しい人が亡くなっても、私たちの人生は続いていきます。
どんなに悲しくて辛くても、時の流れだけは止められない。生きてくしかないのです。
そうしていくうちに、亡くなった人の人生と生きている私たちの人生は、どこかで決別する時がやってきます。
悲しいけどその決別を受け入れることができた時、違う見方ができるのではないかな?
そう思います。
それに
同じ時代を生きていた現実は確かに存在する。その現実が、今後私たちが生きていく上での糧となるでしょう。
【人生が完結した】という考え方
![](https://akari-presents.com/wp-content/uploads/2019/12/fantasy-4655368_1920.jpg)
亡くなった人の人生は完結した。という考え方。
それはつまり
亡くなった人の人生は、決して途中じゃないんだという考え方です。
だから悲しみから抜けた先に、心の底から出てくる感情は
ありがとう
なのではないでしょうか。
生まれてくれてありがとう。
出逢ってくれてありがとう。
貴重な人生の中、かけがえのない時間を共に過ごしたことに
意味があるということ。
そのことに対する感謝を胸に、糧にして生きていきたいですね。
感じたことを糧にして生きていこう
糧…【力づけるもの】
亡くなった人の存在や死別から感じた想い・学びは
全て糧(心に活力を与える)になります。
そして私たちが糧にして行動していくたびに
亡くなった人の使命・役割は増していく…そんな気がします。
以上のことを踏まえると、亡くなった人は決して置いてきぼりではない。
むしろ私たちより早く人生という旅を終えて、その先に進んだのだということなのです。
だから私たちも前に進もう。ゆっくりでいいから歩もう!
生き切ろう。
亡くなった人といつかまた会えるその日まで・・・*