どうも*あかりんご(@akari_presents)です。
突然ですが、私はしょっちゅう
人生について考えを巡らせています。
そんな思考の始まりは、彼氏との死別体験。
18歳で亡くなった彼は
◆ただただ早すぎた死
◆かわいそう
◆まだまだこれからだろうに
そんな哀れみの声をたくさん受けた。
(その様子を天国から見てると思う)
私はそれが嫌だったし、悔しかった。
彼が亡くなって悲しい・かわいそう…
たしかにそれは紛れもない事実。
でも、それだけじゃないってこと。
もちろん亡くなってすぐの頃は私も余裕がなく、ひたすら悲しみ続けた。
けれど途中から
彼の18年間という人生に注目するようになったんですね。
18年間という短さで人生が終わったから「かわいそう」なのかもしれないけれど
「亡くなって悲しい」という想いは、その人が何歳で亡くなっても拭きれない感情。
その人が生きた期間分、思い出も増えていくし
周りの人は悲しいにきまってますよ…。
人の死って、そういう負の感情(いっけんマイナスに見える)に覆われて色んなものが見えなくなってしまうんです。
そんな中、私が【彼の人生】に注目したのは
いつまでも悲しんでいたら彼が悲しむと思ったからなんです。
なので、彼の気持ちを考えてみたんですよね…
(以下、私が彼の気持ちに立って想像した結果出てきた言葉たちです)
◆悲しいけど楽しかったよ
◆大好きな人たちを悲しませてる自分に苛立つ
◆やり残したこともあるけどやり切ったよ
◆楽しかった思い出を忘れないで欲しい
◆ありがとう
・
・
・
(18歳で死んじゃったのは)悲しいけど
(生きてきた18年間は)楽しかったよ
きっとそう思ってるんだろう…と思うように。
そしたら、とてもじゃないけどやり切れない気持ちになってしまって…!
そこから私自身、この出来事に対して
見る角度が変わりました。
彼の死を嘆き悲しむのではなく、彼の生をめいっぱい讃えたい
そう思ったんですよね。
そこから、彼のことを知る仲間たちと共に
生前の彼の話を積極的にするようになり
彼のことを知らない人にも、彼の生前の思い出を話していくようになりました。
そして辿り着いた答えは…
一度きりの人生…自分だけの花を咲かせることが出来たらとても幸せだよな。
ということ。
お花はもちろん一人一人違います。
色も形も咲く時期も咲く期間も。
完全に私の都合の良い解釈でしたとさ♪
(でもこれ大切!)
でね、彼の人生を振り返って見てみた時に
一緒に過ごした期間は2年間だったけど、とっても楽しかった。幸せだった。
そして、彼の家族や友人に聞いた彼のこれまでの人生は
お花咲きまくり!
少しヤンチャな彼は、私から見ても「青春してんな〜」と感じるほど。
たっくさんのお花を咲かせた彼の人生は、けして「かわいそうじゃない」
不幸なわけはなくて……むしろ幸せだった。
そう心の底から思えたんですよね。
もし、あらかじめ【人生80年】と設定してあるのだとしたら
18歳で命が終わることは、実に短く感じるだろう。
けれど、人生の長さに決まりなどなかったら?もしくは、人それぞれ設定があるとしたら?
たとえば
彼の場合は【人生18年】という設定で生まれてきたのだとしたら…
その18年間楽しんだのなら
悔いもない幸せな人生だったんだよ!
といえる。
それでいいんじゃないかな。
本人は納得してないかもしれないけれど、それはもう私たちにはわからない。
だったら、生きてる私たちの解釈は自由でいいんじゃないかな。
亡くなった人も、自分たちも笑顔でいられるような解釈をすること。
とっても大切です。
最後に…
つぼみとお花▼
並んでいると、どちらも良さがあると思いませんか?
◆つぼみ→「これからどんな花が咲くんだろう?」という期待感
◆お花→「綺麗なお花が咲いた」という感動
私たちは、このどちらも持ち合わせているんです。
持ってるつぼみが「全て咲くこと」だけが幸せの証ではありません。
咲く花もあれば、つぼみのままのもある。
それでいい。
ただ
自分だけの花を咲かせることが出来たら
それはとても幸せなことですよね。
つぼみ=命
これから、自分だけのお花を咲かせられる可能性を持っていること(生きていること)に感謝して
花を咲かせる為に、楽しく生きていきましょうね*
「このつぼみをどうするかは、あなたに任せます。」と。
咲かせるも咲かせないも個人の自由。
なんなら、どんな花が咲くかもわからず、いつ頃咲くかも検討つきません。
しかし花を咲かせるコツはあって。
それは楽しむこと。
よく「人生、一花咲かせてやる」という言葉がありますが、私が考える【人生の花】は楽しむことで咲きます。
大それた夢や立派な功績などなくても、その人が楽しんで生きていれば、その人の花は咲くのです。